過去10年ほどの間に、メカニカルキーボードや自作キーボードをめぐる状況は大きく変化してきました。技術的な変化、商業的な変化、情報流通の変化が交錯し、それらが重なり合うことで大きな波が生まれてきたように見えます。
今回は2017年からキーボードパーツショップの運営に携わった立場から、過去の動きを備忘録的にまとめてみました。あくまでも私個人の経験と見聞に基づく一つの整理ですので、読者の方々の認識とは異なる部分もあるかと思います。その点についてはあらかじめご理解ください。
メカニカルキーボードや自作キーボードをめぐる変化は、単純に時系列で並べると複雑でわかりにくくなります。起こった出来事を俯瞰してみると、大きく三つの要素に整理できると感じています。まずはベースとなる新たな技術的要素という幹があり、その上に周期的な商業的な波が現れ、さらに情報流通が波を増幅してきた。この三層に分けて振り返ってみます。
要素1:基盤 ― キーボード制作を支える技術の変化
ここ10年のメカニカルキーボードや自作キーボードを支えてきたのは、従来の「メーカーによる閉じられた設計」とは異なる仕組みでした。以前のキーボードは、専用チップや固定キーマップを前提にしたメーカー独自開発で、仕様も非公開というのが一般的でした。しかし、この10年を通じて、以下のような大きな変化が生まれました。
Cherry MXキースイッチ特許の失効 Cherry MXキースイッチは、もともとCherry社が独自に開発し、特許により保護されていた規格でした。そのためCherry MXキースイッチはCherry社製品に限られていました。しかし主要特許の失効により、このキースイッチの機構やデザインはパブリックドメインとなり、誰もが製造できるようになりました。これをきっかけにKailhやGateronといったメーカーが参入し、大量生産による価格の低下や、多様な特性を持つスイッチの登場が進みました。その結果、Cherry MX互換スイッチは現在ではメカニカルキーボードにおける事実上の標準規格となり、メーカーや個人製作者の設計を支える基盤となっています。
オープンソースの普及 オープンソースファームウェアであるQMK Firmwareの登場により、誰でもルールに従って提供されるツール群を無償で利用できるようになり、開発コストの敷居が大きく下がりました。キーマップや機能を自由に設定できる柔軟性も広がりました。作成したファームウェアは公開され、ナレッジの共有が進みました。その後、VIAやVialといったGUIツールの普及により、ユーザーにとっての利用ハードルはさらに下がりました。
部品と技術の進歩 Pro MicroやRP2040といった安価な小型マイコンが小売単位で流通し、個人でも容易に入手できるようになりました。こうした部品の進歩が、個人レベルでの開発や組み立てを現実的なものにしました。
ナレッジの蓄積と共有 GitHubでの設計データやファームウェアの公開、フォーラムやDiscordでの情報交換が盛んになり、知識が体系的に蓄積されました。これにより、初心者でも先行事例を参考に開発へ踏み出せる環境が整いました。
工作環境の変化 2010年代半ばにはファブラボのような市民工房が登場し、レーザー加工機を使ったプレート制作などが広まりました。やがてファブラボは縮小していきますが、その後は中国の加工サービスが台頭し、PCBや3Dプリント、レーザーカットを少量・低価格でオンライン発注できるようになりました。この利便性は、個人ビルダーが副業として自作キーボードを製作・販売する流れを強く後押ししました。
要素2:商業的な変化 ― 周期的な波の発生
こうした技術的基盤の上に、この10年でいくつもの商業的な波が現れました。
GB(Group Buy)文化の拡大(2015〜2017年) 当時は、カスタムキーボードやキーキャップをショップや大手ECサイトで購入できる環境はまだ整っていませんでした。そのため、海外フォーラムを中心に、設計者が一定数の注文を集めて製造する共同購入が盛んに行われました。個人主催からショップ主催へと広がり、多くのGBが同時多発的に立ち上がりましたが、納期の遅延や品質の問題、さらには主催者失踪といったトラブルも発生しました。
クラウドファンディングと中国新興ブランドの登場(2018〜2019年) Kickstarterを中心にクラウドファンディングが目立ち始めました。Keychron(2017年設立、2018年にクラウドファンディングで注目)やLofree(2016年頃)がその代表例です。中国の新興メーカーは、それまでのOEM経験や技術を基盤に、カスタムキーボード文化やQMK的思想を取り込みながら、完成品市場へと次々に製品を展開していきました。
在宅特需と直販モデルの拡大(2020〜2021年) コロナ禍による勤務形態の改革、すなわち在宅勤務の普及でPC需要が拡大し、それに伴いメカニカルキーボードへの関心増えました。クラウドファンディングからスタートしたメーカーは、Amazonでの販売や自社公式サイトを強化し、即納可能な在庫販売モデルを整えていきました。
個人レビュアーの急増(2021〜2023年) YouTubeやBilibiliを中心に個人レビュアーが急増しました。当初は自費購入によるレビューが中心でしたが、やがてメーカー提供品や有償案件が増え、PR的なコンテンツが多数を占めるようになりました。情報量は豊富になったものの、主観的な要素が増えてゆきました。
中国新興ブランドの在庫販売拡大と飽和(2023年以降) 中国の新興ブランドはさらに拡大し、低価格なキーボードを各チャネルで在庫販売するようになりました。市場は急速に飽和してゆきます。またクラウドファンディングは資金調達の手段から「広告的な役割」へと性格を変えていきました。
要素3:情報流通 ― 波を加速させる仕組み
情報の流れも、ブームの広がりを大きく形づくりました。
- 当初はGeekhackやDeskthorityといったフォーラムが中心
- GitHubによる設計やファームウェアの公開が標準化
- DiscordやRedditでの交流が広がり、国際的なネットワークを形成
- 2020年以降はYouTubeやBilibiliでの動画レビューが主役となり、商業的な波を大きく拡散
情報の増加はコミュニティの活性化につながりましたが、メーカー提供品レビューの氾濫は客観性を損なう面もありました。
まとめ
三層を重ねて振り返ると、構造が明確になります。新たな技術的要素という幹があるからこそ商業的な波が生まれ、情報流通がそれを拡散させた。それぞれが互いに作用し合い、この10年のキーボード文化を形づくってきたように思えます。
参考:時系列で見る基盤と波(補助表)
| 年代 | 基盤(持続的要素) | 波(商業的流れ) |
|---|---|---|
| 2010年代前半 | QMK登場、安価マイコン流通、Cherry MX特許失効 | – |
| 2015〜2017年 | ファブラボとレーザー加工 | GB文化の拡大(納期遅延やリスクも顕在化) |
| 2018〜2019年 | 中国加工サービス、ナレッジ共有の加速 | クラウドファンディングの隆盛、Keychron・Lofree登場 |
| 2020〜2021年 | 在宅需要で部品・サービス利用が加速 | Amazon直販・公式ECサイトによる即納モデル拡大 |
| 2021〜2023年 | – | YouTubeレビュー文化の氾濫 |
| 2023年以降 | – | 中国ブランドによる即納在庫販売が主流化 |
